2013年9月4日 水曜日 | No Comments »

壇蜜さんが「さなづら」を好きでTBSテレビの「はなまるマーケット」の今朝のおめざのコーナーで「さなづら」を紹介してくれた。彼女の母の実家が横手の十文字でおばあさんが「さなづら」をお好きだったらしく秋田にくるたびにさなづらを食べていたそうである。「山葡萄の甘酸っぱさがいい。仲良くなった友人にはさなづらをおみやげにふるさとの銘菓としてお渡しするんです。」と話していた。ありがたいことである。早速電話やインターネットでの問い合わせ注文が増えお盆にかけてさなづらがブレークした。あらたなお客様にさなづらの魅力をアピールすることができた。壇蜜さんに感謝したい。こまちスタジアムで開催された「ヤクルトーDeNA戦」では始球式をつとめ話題をよんだ。ABSラジオにも生出演しまたさなづらのことを話してくれた。私も挨拶させてもらったがとてもウィットにとんでクレバーな女性だった。彼女のブログはなかなかおもしろい。秋田を代表する美人としてさらに活躍を期待したい。

今年の竿燈は史上最多の266本が出竿し、これまた最高の141万人が竿燈まつりを楽しんだ。竿燈会の会長が藤原新会長に代わり新役員の皆さんの発案で観客と竿燈の差し手とのコミュニケーションを図るべく竿燈演技の終了の際に竿燈締めをおこなったり、積極的に掛け声をかけたりした結果、いつの年にも増して会場全体が盛り上がり余韻をおしむお客様が「竿燈とのふれあいの時間」が終わるまで帰らずに「素晴らしかった。また来たい。」といった声があちこちで聞かれた。佐竹知事も竿燈会の反省会で「こんなに感動するまつりは他にない。」と涙を流しておられたほどである。私も平成2年以来竿燈の司会を務めているが今年ほど全体の雰囲気がよかったことは記憶にない。竿燈妙技会は大若団体規定演技は下肴町、自由演技は柳町が優勝した。下肴町は個人戦も優勝し全体的に安定していた。柳町の自由演技は竿8本の演技を決めた。今までの最高記録だろう。高さが半端じゃなかった。6日はあちこちで大雨が降ったが秋田市だけは雨が降らなかった。私がマイクを持つと竿燈が中止にならないジンクスは今年も大丈夫だった。9日の集中豪雨で大館、鹿角や田沢湖が大変な状況になった。田沢湖では土石流で集落が流され6名の方が犠牲になってしまった。7月末には山口県で大雨被害があったし、全国的にこの夏は異常な集中豪雨が多い。どこで降るかわからず突然ゲリラ的に雨が降る。関東から西日本にかけては連日35度以上の猛暑に見舞われた。地球温暖化の影響なのか世界的に天候がおかしくなってきている。秋田でも春と秋がなくなるのではないかと予測している人もいる。この異常気象が一時的な現象であってくれることを祈りたい。四季折々のメリハリある変化が日本や秋田のよさである。美の国をなんとしても守りたい!

久しぶりに大曲の花火に家族で出かけた。全国からものすごいお客様が大曲に集まっていた。さすが日本一の花火大会、花火が上がるたびに歓声があがった。大会提供花火はみなうっとりして見上げていた。地元大曲の小松煙火工業さんが大会最優秀賞を受賞した。小松さんおめでとう!あきたの竿燈と大曲の花火はやっぱりすごい!!

佐竹知事と穂積市長の公約で秋田県民会館と秋田市文化会館をひとつにして文化的なイベントやコンベンションを開催できる施設を創造する方向になり、第一回目の有識者による検討会が開かれた。私も観光コンベンションの代表として意見を述べた。血税を投入してハードの整備をするわけであり、秋田にとって最後のチャンスだと思われるので県外からも人をよべる外貨獲得できる施設にする必要がある。3000名規模収容で駐車場完備は最低条件だろう。金太郎飴のようなものにならないよう提言していきたい。

秋大附中32期同期で「半世紀を祝う会」をビューホテルで開催した。30数名の参加だったが恩師の森谷祐二先生、佐々木信吾先生ご出席いただき大変なごやかでもりあがった会になった。今年度50歳を迎える節目の年になるのでそれぞれの半世紀を振り返りながらお互いにカツをいれようという趣旨であったがみんなパワフルで鳥海さんの店で3次会までやって深夜まで話がつきなかった。ビューホテルの椙原さんにはほとんどひとりで幹事をやってもらい世話になった。ありがとう。5月に奥さんが亡くなった石井君が中学生のお嬢さんを連れて参加した。17年ぶりに秋田にきた本橋(旧姓酒巻)さんや横浜から毎回参加してくれる山口(旧姓青田)さんをはじめ遠方からの参加者を囲んで皆テンションが高かった。「充実」「温故知新」「飛翔」―附中時代の附中祭のテーマにのっとって人生折り返し頑張っていきたい。GOGOわがよき友よ!!

栄徳院法観日敬大居士(亡父敬二郎・平成3年11月2日命日)の23回忌、栄彰院妙操日静大姉(亡母静・平成13年6月2日命日)の13回忌法要を17日に本妙寺で執り行った。本来はもっと早く納骨するはずだったがずっと自宅の仏壇に鎮座して家族を見守っていた父母の喉仏の骨を法要後に無事納骨をすませた。東京から姉芳子をはじめ父母の孫やひ孫11名が来秋した。うちの子供たちをいれると父母の孫は7人ひ孫は9人いる。2人だけこれなかったが皆勢ぞろいしてにぎやかな法事だった。会食はホテルメトロポリタン秋田でおこないなごやかな宴となった。記念写真を何枚か撮ったがなかなかいいショットが撮れていた。天国の父母が一番喜んでいただろう。遺影が笑っていた。翌日は東京のメンバーを連れて男鹿観光に行った。寒風山、門前の汐瀬旅館で昼食、男鹿水族館GAO、なまはげ館のコースだったが、白熊親子のかわいらしいしぐさや迫力満点のなまはげのパフォーマンスにみんな喜んでいた。汐瀬旅館の鯛づくしの料理は美味でおなかいっぱいになった。秋山社長ご夫妻は旅館栄太楼のOBで、大鵬親方とも永い交流がある。男鹿巡業で大砂嵐も泊まったようで縁を感じた。法事での来秋であったが子供たちにも秋田を満喫してもらった。私もほっとした。父母の供養とともに栄太楼のさらなる躍進を墓前に誓った。天国からのエールが聞こえてくる。がんばろう!

さきがけ友の会60周年記念式典・祝賀会がキャッスルホテルで開催された。田原総一郎さんの記念講演があった。時流をとらえた切れ味のいい話だった。インターネットの時代になってもアナログの活字の大切さは変わらない。小笠原社長の挨拶素晴らしかった。

鶴の湯温泉の小屋での販売にお盆期間中2日間私が行った。全国からお越しのお客様があこがれの鶴の湯に来て皆笑顔だった。さすが鶴の湯さん、私もうれしくなった。

東京秋葉原の日本百貨店の食品館「CHABARA」に8日間秋田栄太楼が出店し、お菓子販売にチャレンジした。福岡部長と私が交代で売り子を務めた。先月できたばかりのエリアで残念ながら集客がいまひとつでいい勉強になった。JRグループとはもっと深く交流してビジネスにつなげていきたい。法里さんに販売応援等お世話になった。

秋田市6次産業化事業でノースアジア大学とのコラボレーションによる商品開発がヤマ場を迎えている。さなづらを使った洋菓子をDCキャンペーンに合わせて新発売する予定である。乞うご期待!

社長 小国輝也

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2013年9月4日 水曜日 | No Comments »

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2013年8月13日 火曜日 | No Comments »

6月は空梅雨だと思っていたら7月は雨が降りっぱなしでうっとうしい天気が続いている。関東や西日本は35度を越える猛暑となっている。このあとは少しおだやかな夏であってほしいものである。「さなづらゼリー」の販売を強化したところ各店の努力のかいあって順調に伸びている。発売から10年もたつのに知らなかったお客様がいらっしゃった。単品を強化して売上構成比を変えるには製造販売一体となった取り組みが重要なようである。「さなづら」とともにこの夏のメインとして「さなづらゼリー」をおすすめしていきたい。

七夕7日に生誕50年を迎えた。気持ち的にはまだ20代後半であるが早くも半世紀を生きたわけである。天国の両親に感謝したい。誕生日には家族とともに焼肉とケーキでエネルギーを充電した。生誕100年まで生きられるかは?であるが人生折り返し、褌を締めなおしてさらに元気をだして頑張っていきたい。みなさんよろしく!!

親友であるユーランドホテル八橋の松村譲裕君が参議院選挙全国比例代表に立候補したが、あと一歩有権者に浸透しきれず当選できなかった。秋田から国会議員を一人増やすチャンスだったが残念である。もうすこし党名でなく個人名を書いてもらえれば国政デビューができた。秋田をよくして日本の未来を変えていきたい。松村君の覚悟の挑戦と熱い思いを無駄にしないよう我々も前向きにチャレンジしていこう!選挙区は自民党の中泉松司君が見事初当選を果たし、全国的に自民党が圧勝した。安部総理には浮かれすぎることがないように地方の再生を重点的に進め日本丸のよりよい舵取りをしてもらいたい。このあとの日本にとってここ数年の改革が非常に大事である。秋田や日本が消滅しないよう政治家のみなさんには真剣に知恵をだして汗をかいていただきたい。

キャッスルホテルの沢井修社長が退任され、あきた食彩プロデュースの社長に就任した。沢井さんは生え抜きの社長としてキャッスルホテルを見事に繁盛させ私たちも大変お世話になった。ホテル事業とメディカル事業を融合させ業容を拡大された。今度はあきたの6次産業化をすすめ食を中心に付加価値を高め県外に売り出す切り込み隊長としての活躍が期待される。栄太楼もあやかって外貨獲得に一役買っていきたい。

新年度の秋田県総合政策審議会が開催され、わたしも委員に任命され観光交通部会の副部会長を務めることになった。佐竹県政2期目をむかえ「ふるさと秋田元気創造プラン」をさらに進化させていくべく、有識者が本音で知恵を出し合って審議会を進めていく予定である。あきたの未来を自分たちで創っていく気概をもって県庁職員の皆さんとともにとりくんでいきたい。

あきた電信電話ユーザ協会の総会があり、渡邉会長、NTTの田村支店長をはじめ役員のみなさんと交流した。私は20年以上役員をつとめているが通信の世界は日進月歩だなと感じさせられる。電話応対コンクールは継続して開催されており、いくらデジタル全盛の世の中になっても接客の基本はアナログの電話応対が重要なのだと思っている。ちなみに私は平成8年電話応対コンクールで秋田県準優勝している。

北都会が開催され今回は、野球の落合博満さんが講演した。オレ流トークで会場はおおいに盛り上がった。プロ野球会の裏話もなかなかおもしろかったが、現場第一でぶれずに努力することの大切さを力説されていた。哲学と実践が常勝チームを作ったのだと実感した。講演のあとの懇親会も北都銀行のみなさんと交流でき有意義だった。

生協虹の会の総会では元東大総長の佐々木毅さんがアベノミクスと今後の日本について講演された。政治学の第一人者としての話に約400名の聴衆も聞き入っていた。佐々木さんは秋田高校の出身で今、秋高にある同窓会館「羽城館」で展示会が開催されている。学生時代の直筆のノートなど見ごたえがある。9月まで開催されており誰でも入館できるので必見である。私も秋高祭の際に拝見した。秋高祭も久しぶりにみたが我々の頃と変わっている部分と変わっていないものがありなかなか楽しかった。世相を風刺したクラスデコレーションはインパクトがあった。佐々木先生に続く後輩がどんどん輩出してほしいものである。

あきしん本店経済懇話会では税理士の長谷部光重先生から今の時代の会社経営について示唆にとんだ講演があった。長谷部先生は毒舌であるが真理をするどく突いている。

その後は柴田新専務や新旧本店長を囲みなごやかな宴となった。

城東中学校の2年生にキャリア教育の一環として、授業をさせていただいた。「秋田の創造者(クリエーター)たちへ」と題して秋田のことや会社のこと世の中のことをクイズを交えながら話しした。みんな一生懸命で生徒たちの眼は輝いていた。これから職場体験をするそうである。明るく元気な将来の秋田を創ることができるよう頑張ってほしい。声をかけてくれた城東中の中村啓先生は私の同期である。

法政大学後援会の秋田支部総会がイヤタカで開催され、宮脇総長室長をはじめ大学から来秋されたみなさんの話をお聞きしOBの方々とも交流した。学生に対するフォローアップ体制が厚い大学である。私が今年度の秋田支部長になった。がんばろう。

陸上自衛隊秋田駐屯地の橋爪連隊長と懇談する機会があった。港祭りの直後だったがお祭り好きで隊員思いのハートが熱い連隊長で意気投合した。銀水さんの料理も美味かった。秋田のため日本のためにぜひ頑張っていただきたい。

秋田温泉プラザの松田常務が44歳の若さで癌のため10日に逝去され天徳寺で葬儀が執り行われた。剣道で鍛えたスポーツマンで旅館経営の陣頭指揮を執っていた矢先、ご両親のご心痛を思うと大変悲しい葬儀だった。心からご冥福をお祈り申し上げます。

秋高の同期である市役所の山本誠悦君が結婚式を挙げた。お相手はモードスタジオQの人気美容師の優子さん。市役所の皆さん中心のお祝いの会がありほんと幸せそうだった。秋高と五城目の仲間での山本夫妻を囲む会もこれから開催する。おおいに山本君をひやかしながら盛り上がりそうである。「ふたりの門出に乾杯!」

高校野球は決勝戦延長15回の死闘の末、秋田商業が角館を破り2年連続の甲子園出場を決めた。佐々木君と相馬君両投手の投げあい凄かった。角館は初出場ならず。秋高は2回戦で角館にまけ140周年の夏は終わってしまった。

大相撲名古屋場所は横綱白鵬が13勝2敗で26回目の優勝を果たした。稀勢の里は白鵬の連勝を43で止めたものの11勝どまり。彼はいざとなると固くなるのと苦手力士が多すぎる。横綱を狙う前にまずは初優勝を目指してほしい。大嶽部屋の新十両大砂嵐は10勝5敗。断食をしながら良く頑張った。幕内から転落しそうな関取が多いのでもしかすると来場所の新入幕もありえる。GOGO大砂嵐!フレーフレー大嶽部屋!

                                        社長 小国輝也

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2013年6月25日 火曜日 | No Comments »

東京ロイヤルパークホテルで開催された大鵬親方の国民栄誉賞受賞を祝う会は各界の著名人をはじめ全国の大鵬親方と親交があった皆さん600名以上が参集し盛会だった。

江東区長からは深川に大鵬記念館を設置する旨の挨拶があり、横綱白鵬からは大鵬の遺志を継いで赤十字に血液運搬車の寄贈を続けていく事の発表があった。秋田からも親方縁の皆さんがかなりかけつけてくれていた。会場のあちこちで大鵬親方の思い出話に花が咲いていたようである。私もなつかしい多数の面々にお会いすることが出来た。会の終わり間際に親方の孫にあたる熊倉生純(いくみ)ちゃんとたくみ君(次女京実の子)のピアノ演奏があった。すごく上手で心がこもっていて感動した。孫9人から芳子おばあちゃんに花束の贈呈があり、姉もうるうるとなっていた。パソナの南部代表をはじめ発起人の皆さんのおかげで盛会裏に会を催すことが出来家族も感謝していた。亡くなってからこの時期に祝賀会を行なうことについては賛否両論があったようで姉も迷っていたようであるがやってよかった。京実と美絵子の二人の娘が準備に奔走した。お疲れ様!大鵬まんじゅうの評判もよかった。榮太楼も大鵬にあやかって菓子業界の横綱をめざしていきたい。

翌週は全国法人会連合会青年部連絡協議会の役員会が東京で開催され、財務省からゲストをお招きして国の政策の勉強会もおこなった。その後の会議ではこの秋開催される広島での全国青年の集いと来年の秋田大会についての協議があった。私は今期で東北の会長を山形の松田さんにバトンタッチし全国副会長を退任したが、来年の秋田大会はすばらしいものにできるよう秋田のメンバーで実行委員会の準備を加速させていきたい。

東京では高島屋、三越、ふるさと館、美彩館などお取引先にセールスにお伺いしてきた。東京は常に進化している。お客様も多い。本腰を入れて首都圏マーケットを攻略できるよう仕掛けて行きたい。上野駅では秋田物産展が開催され福岡営業部長がお菓子の販売をおこなった。生どらやき、利久まんじゅうは評判がよかったようである。21歳の誕生日をむかえた長男紀敬も手伝った。売れ筋を研究して首都圏での販売を強化していこう。

今年の千秋茶会は晴天に恵まれ人出が多かった。裏千家の長谷川幹事長の席と狭山流の長谷山先生から御用命をいただいた。お菓子はそれぞれ「風光る」と「びわ」、お茶席での評判は上々だったようである。これからも席主の意向や茶席の趣きを大事にしてお菓子を御創りしていこう。

八幡秋田神社の例祭も行われたが天候にも恵まれ、新緑の中風情のある例祭だった。毎朝のように散歩の際に神社で手を合わせているがあらためて参拝すると気が引き締まるものである。お引き菓子は季節の上生、皆さんに喜んでいただいた。ありがたい。

平成14年以来11年間で19万7千キロ走った愛車のアルファードがついにエンジンの調子が悪くなってしまいリタイアすることになった。4月に秋田中央道のトンネル出口付近でエンジンストップしてしまい、パトカーに救出された。旅館をやっているときからの車で、あちこちセールスにも行ったしお菓子も配達したし、家族でいろいろなところにもでかけた思い出のアルファードである。感謝したい。新車は燃費がよくて荷物も運べる車になった。安全運転で運も引き付けていきたい。よろしく!

会社に献血車がきて献血をした。28回目になった。(もっと多い気がするが・・・)これから夏にかけて血液が不足気味になるそうである。献血できるのは健康の証しである。送られてきたデーターも順調だった。これからも回数を増やして貢献していきたい。

キリン愛飲の会が山王の「喰らい亭」で久々におこなわれた。キリンビールをこよなく愛するメンバーの異業種交流会である。キリンの北野支社長はじめスタッフのみなさんとも熱いビール談義で盛り上がった。秋田が34度を記録した日だったのでめっちゃビールがうまかったが、暑すぎてフローズン生が飲めなかったのが残念だった。献血のあとだったので飲みすぎだったかな?

観光連盟有志による第2回観光秋田未来創造会議を行った。全県のキーマンで情報交換をしながら、観光業を担う人材育成などについても話し合った。秋のディスティネーションキャンペーンは予定されているが、一過性におわらせずに継続して人を呼び込むにはさまざまなアクションが必要である。東北ニュービジネス協議会主催で「特定複合型観光施設がもたらす地域の可能性」と題して勉強会があった。メインの講師は大阪商業大学学長の谷岡一郎先生。犯罪学やカジノ構想の第一人者である。参議院選挙が終わればいよいよ今年の秋にはカジノが合法化されそうである。はじめは3箇所程度でスタートし将来的には10箇所程度のエリアが想定される。官民一体で準備を進めぜひとも秋田にトータルエンターティメントエリアを創造したい。IRは外貨獲得のドライビングフォースになり秋田のように経済が疲弊している地域にとっては活性化の起爆剤になりうるのである。日本で最も早くから長谷川代表が中心になって進めてきたイーストベガス構想をぜひとも具現化させていきたい。

法政大学後援会新入会員歓迎交流会がイヤタカで開催された。今年は26名の新1年生が秋田県から入学したようである。また東京経済大学父母の会総会がキャッスルホテルで開催され、こちらはOBを代表して参加した。両大学とも学生や父兄にたいするフォローはかなりきめ細かいものがある。面倒見がいい。学生数が減り大学経営も冬の時代を迎えつつあるといわれて久しいが大学のブランド力向上とともにサービス体制強化も必要な時代のようである。学生にはそういった環境に感謝しながら全身全霊を傾けて努力してほしい。

サッカー日本代表はオーストラリア戦、本田の劇的ゴールで引き分けて来年のワールドカップ出場を決めた。しかしその後ブラジルで行われたコンフェディレーションズカップでは、ブラジル、イタリア、メキシコに3連敗してしまった。個の力を高めチーム全体の総合力を来年に向けてアップしていってほしい。まだまだ世界のトップの壁は厚い。GOGOニッポン!

参議院議員をめざす全国比例代表の松村よしやす君と秋田選挙区の中泉松司君の事務所開きが行なわれた。選挙までいよいよ1ヶ月をきった。疲弊する秋田の活路を切り開き日本の未来を変える若い力に期待したい。私たちも傍観するだけでなくアクションを起こしていこう。地域がよくならなければ会社も個人もよくならないのである。

私の親友の石井寿朗君の奥さんが先月急逝された。享年52歳。ボンタ(石井君のあだ名)の落ち込みようはつらかった。幸い子供さんたちがしっかりしているようである。ボンタ頑張れ!また富士製粉の升谷恵美子社長が2日亡くなられた。(くしくも私の母の13回忌)御主人なきあとリーダーシップを発揮して会社を切り盛りされていた。心からご冥福をお祈り致します。

この夏船井総研のアドバイスをいただきながら主力単品の売上構成比をあげ業績向上を図ることにした。第一弾は「さなづらゼリー」、さあみんな「さなづらゼリー」を作ろう、売ろう、食べよう!「さなづらゼリー」で決まり!!          社長 小国 輝也

カテゴリー:社長通信 「輝進」
2013年6月3日 月曜日 | No Comments »

大相撲夏場所13日目大嶽部屋の大砂嵐が十両力士を破り7戦全勝で幕下優勝を決めた。これで来場所の新十両昇進決定である。エジプト出身、アフリカ大陸初の関取となる。優勝が決まった直後感動的な連絡が姉からあった。久々の大嶽部屋からの関取誕生である。天国の大鵬親方も喜んでいることだろう。よかった。今後の活躍を期待したい。今場所大嶽部屋の力士はほとんど勝ち越して調子がいい。31日には東京ロイヤルパークホテルで「故大鵬親方国民栄誉賞受賞祝賀会」が開催される。大砂嵐の昇進が花を添えることになった。いい会になりそうだ。幕内は13連勝どうしの横綱白鵬と大関稀勢の里がきょう激突する。稀勢の里が優勝すれば7年ぶりの日本人力士の優勝となる。両国国技館は盛り上がっている。

今年のゴールデンウイークは天候が不順で桜の開花もかなりおくれ、人の動きがよくなかった。角館の即売も不調で駅もおみやげの動きがにぶかった。年年観光客の財布の紐が固くなっている気がする。連休後も秋田でのコンベンションがほとんどなくトピコも人が少ない状態が続いている。空港はリニューアル効果もあり、物販売上も好調のようである。人の動きを活発にすることと売れる仕掛けづくりをすることが大切である。秋田西武での「東北うまいものまつり」に出店したが寒さで農繁期がずれたせいかお客様が少なく皆首をひねっていた。昨年は行列ができた商品が今年はさっぱりだったようである。個人消費はまだまだ厳しい。地方にアベノミクス効果が実感できるようになるのはいつだろうか?

陸上自衛隊秋田駐屯地で先月からお菓子の販売をさせてもらっている。1000名の隊員の皆さんがいらっしゃるので積極的に榮太楼のお菓子をアピールしていきたい。先日連隊長に御挨拶に伺いいろいろお話をさせていただいた。微力ながら自衛隊を応援していきたい。

GW中には大学時代のサークルの仲間である則兼夫妻と後輩鈴木真理夫妻が来秋し、いっしょに食事をした。学生時代にタイムスリップして話がはずみ非常に盛り上がった。友と酌み交わす酒は美味い。カラオケメドレーでストレスを発散した。またJTB時代の恩人である松崎久子さんが来秋し秋田を御案内しながら食事をした。県の前田観光文化スポーツ部長と松崎さんは入魂の仲である。縁は不思議なものである。松崎さんは私の結婚式以来の秋田だった。昔と変わらないパワーを分けていただいた。

裏千家淡交会秋田青年部の交流茶会が千秋公園散策後、大町店のコミュニケーションスペースENで行なわれた。45名が参加し盛況だった。小雨まじりの天気だったが、新緑がきれいで情緒があった。ENは少しせまかったが和気あいあいとお茶とお菓子を楽しんでもらった。お菓子は季節の花にちなんだ上生4種類、干菓子2種類だったが喜んでいただけたようである。茶会の後はレストランかなやに移動して懇親会をおこなった。二階貸切で話が弾みおおいに盛り上がり有意義な交流会となった。担当の信田委員長はじめスタッフの皆さんお疲れ様でした。

秋田県観光連盟総会が盛会裏に行なわれた。私の同期である秋田県の猿田和三君が専務理事に就任した。私も常務理事として彼とスクラムを組むことになった。ディスティネーションキャンペーンをひかえ秋田県観光を強化するべく、人も予算もパワーアップした。各市町村からや旅行エージェントからの出向者も増えた。官民一体となって観光客を増やしひとを呼んで栄えるあきたを創るために、魅力ある観光地づくりをふくめた受け皿整備、効果的な宣伝PRを推進していきたい。安定して継続的に秋田の交流人口を増やすことが至上命題である。外貨獲得のために知恵をしぼりやる気のあるメンバーとともに汗をかいていこう。

秋田南法人会の総会で表彰された。あまり表彰されたりすることは得意でないが、青年部長としての活動が評価されたようである。来年の全国青年の集いにむかって、さらに会員を増やし、会を活性化させていきたい。

BJリーグ秋田ノーザンハピネッツはプレーオフ感動的な逆転勝利で岩手を破って勝ち上がったものの準決勝で新潟に破れ悲願の有明行きはならなかった。秋田のブースターの熱い応援はすごかった。私の親友の佐藤元君は全試合を応援にいき気合がはいっていた。ハピネッツのシーズン報告会がイヤタカで開かれ参加したが昨年を上回る盛況で、水野社長や中村ヘッドコーチの挨拶を聞き選手の皆さんと交流した。田口選手もまだあどけなさの残るいい男だった。今期で引退した長谷川選手からはお菓子販売のヒントを教えてもらった。完全にハピネッツはおらが秋田のチームとして定着した。来シーズンに向かってさらに頑張って欲しい。

サッカーブラウブリッツ秋田は19日八橋球技場に約4900名の過去最多の集客を果たした。ホーム負けなしで臨んだが、金沢に1?4で完敗してしまった。すこし力みすぎたのかパスミスから相手のカウンター攻撃で点を取られたり精鋭をかいてしまった。バスケットに負けずサッカーも盛り上がってきている。岩瀬社長をはじめスタッフのみなさんも一生懸命である。なんとか結果をだしてJ2JIに昇格できるように秋田県民あげて応援していきたい。スポーツ王国あきたはだんだん熱くなってきた。「ブラウゴンのタマゴボール」ももっと売れるよう押して行きたい。秋田公立美術大学の開学記念式典では「ブラウゴンのタマゴボール」を記念品として御用命いただいた。

国民文化祭の第2回実行委員会が開催され、佐竹知事の挨拶のあと来年にむけて各分野の開催概要が発表され、ポスターやテーマソングが披露された。国文祭は文化の国体ともいわれかなりの集客が見込まれ開催地への経済効果も大きい。国文祭成功にむけてあと500日英知を結集していきたい。

グリーンドリンクスの会が大町のENで久々に開催された。武内印刷の武内伸文さんが代表で毎月秋田のどこかの会場で実施している。今回が65回目。27名の参加でドリンクを片手に今回は大町地区の現在過去未来について語り合った。若い人や女性の参加も多くさまざまな情報交換をすることができ有意義な一夜となった。ENのPRにもなった。大町は大人の遊び場であり秋田の中心である。おもしろい街にしよう。

私の親友であるユーランドホテル八橋の松村譲裕(よしやす)社長が7月の参議院選挙全国比例区から立候補することになった。横浜生まれ秋田育ちの彼は秋田にものすごい熱い想いをもっている。旅館組合の理事長であり、拉致被害者を救う会の秋田の代表を務めている。松村よしやす君の健闘を期待したい!

                                     社長 小国輝也

カテゴリー:社長通信 「輝進」
2013年5月7日 火曜日 | No Comments »

今月は寒暖の差が激しく中旬寒かったため、秋田市の桜もようやく昨日開花した。千秋公園の満開はGW前半になりそうだ。ようやく県外のお客様も動き出した。

弊社「菓子舗榮太楼創業130周年感謝の集い・48代横綱大鵬を偲ぶ会」を9日にイヤタカで開催させていただいた。御来賓、お取引先、私の友人知人、従業員あわせて約240名が参集し、盛会裏に会を終えることが出来た。ありがたい限りである。みなさまに心から感謝したい。会場には国民栄誉賞や勲章、大鵬の写真パネルを陳列し、告別式のときに使用した「大鵬を偲んで」のDVDを流した。席札は「寄り切り」「掬い投げ」「はたきこみ」など大鵬が勝ったときの決まり手27手に合わせて用意し、話を盛りあげるきっかけになったようである。高橋三男会長はじめ秋田相撲甚句会のみなさんが「榮太楼創業130年記念甚句」や大鵬の相撲甚句を披露してくださった。冒頭の挨拶で私は130年のエピソードを交えながら皆様への感謝の気持ちを伝え、大鵬親方との思い出を語り、これを期に心機一転従業員ともども頑張っていく決意を表明し、この後の御指導御鞭撻をお願いした。御来賓として、秋田県知事佐竹敬久様、衆議院議員 財務金融委員長金田勝年様、北都銀行頭取斉藤永吉様から大変あたたかい祝辞を頂戴した。その後旧大鵬部屋後援会秋田支部代表世話人の鈴木茂夫様から大鵬親方の思い出を語っていただき、大鵬夫人納谷芳子様、大嶽忠博親方、納谷美絵子様に花束を贈呈した。姉芳子も感無量だったようで皆様に感謝の言葉を述べた。大嶽親方からは現役時代の秋田合宿の思い出等にふれながら今後の大嶽部屋への支援のお願いの挨拶があった。大鵬の孫代表で美絵子の四男幸成くん(小6)も同席した。約30キロあるお祝い饅頭を3つ用意し御来賓のみなさんで饅頭入刃のセレモニーをおこなった。インパクトがあった。7日に2期目の当選を果たした秋田市長穂積志様に乾杯の音頭をとっていただき宴がはじまった。司会の工藤牧子さんの進行がよかった。私はすべてのテーブルを御挨拶にまわったが人数が多かったためお話できなかった方もいた。少し時間がおしてしまったがそれぞれ参加された方々が交流を深めておられたのでホットした。中締めは菓匠京山の佐々木勝様にありがたいお言葉をいただき三本締めでお開きとなった。準備は大変だったが無事節目の会を催すことができ重ねて皆さんに感謝申し上げたい。社員一同一丸となって榮太楼丸を力強く前進させていきたい!頑張ろう。レッツゴー榮太楼!

広島に二週続けて行って来た。まずは全国法人会総連合青年部会連絡協議会の役員会。今年11月に行なわれる青年の集い全国大会の下見をおこなった。広島はハードが整っていて素晴らしい。さすが中国地方の中核都市である。来年は秋田で開催されることが決定しているので秋田の阿部大会会長、進藤実行委員長も同行したが、秋田ならではのアイデアをだして演出していくことが大切だと実感した。このあと体制を整えつつ準備を進めていきたい。

第26回全国菓子大博覧会が広島で19日から開幕した。4?6年に一度開催される菓子業界のオリンピックのような祭典である。秋田では昭和40年に開催され、私の祖母小国キセが名誉会長を務めている。全国菓子めぐり館の東北6県のブースでオープニングから5日間秋田県がお菓子の販売を行い、青年部が中心になって秋田銘菓を500円均一で販売した。5月12日までの会期中に80万人の入場者を見込んでいるだけあって、初日からものすごい人だった。予想以上に売れ行きがよく用意したお菓子が21日で完売してしまった。もったいなかった。広島の秋田県人会のみなさんの協力で「なまはげ」がパフォーマンスをおこなったがものすごい人気で写真撮影の行列ができたほどだった。秋田県で一番有名なものはなまはげらしい。私も半日なまはげに扮したが家族連れや女性に大もてだった。広島テレビからの取材も受けた。「さなづら」「御幸の華」「さくらゼリー」も完売した。あらためて菓子博の動員力、お菓子の集客力はすごいと思った。お菓子の美術館では全国の菓子職人が技術を結集して作った工芸菓子が展示され、お客様から大人気だった。花、鳥、城をはじめさまざまなお菓子がラインアップしていた。宮島の厳島神社の15分の一のシンボル展示は圧巻だった。細かいところまで細工が施され「これがホントにお菓子でできているの?」と子どもたちからも歓声があがっていた。全国お菓子バザールや広島の物産展も大行列だった。次は4年後に三重県での開催が決まった。そのあとは未定なので秋田も2度目の菓子博開催の可能性を探っていきたい。広島は繁華街もにぎわっていた。名物のお好み焼きもうまかった。合間をみて私の大学時代の親友の植田裕君とも食事をすることができた。彼は鹿島建設広島支店の営業部長として活躍している。本社の玄関に飾ってある「商売繁盛の大きなしゃもじ」は彼からの寄贈である。ご利益があってありがたいと思っている。持つべきは「我がよき友よ」である。

トピコアルスオーナー会議、イヤタカ友の会総会もおこなわれ、新年度もスタートしなにかと忙しくなってきた。GW中は今年は国内旅行客も近年になく多いようである。秋田にもたくさんの県外客にお越し頂き喜んでお菓子を買っていただきたいものである。

秋田空港の売店も今月からリニューアルした。グランドオープンは6月になるが、レイアウトやディスプレイが抜本的に変わった。弊社もデザイナーの法里さんにアレンジしてもらった。空港ターミナルビルとコミュニケーションを図りながら、さなづらを中心に売上増進を図って行きたい。

この4月新入社員が3名はいり新たな仲間が増えた。美術工芸短大から佐々木さん、秋田商業から石川さん、中央高校から笹渕さんである。フレッシュなメンバーに新風を吹き込んでもらい会社を活性化させていきたい。

私の長女も社会人になり、次女は大学、次男は高校に進学した。入学式は期待と不安が入り混じったここちよい緊張感があっていいものである。それぞれの健闘を期待したい!

工場の松橋さんの奥様が御逝去された。まだ40代の若さでの早すぎる旅立ち、お嬢さんのことを思うと痛恨の極みである。心からご冥福をお祈り申し上げます。

会社の春の健康診断があった。私も少し疲れがでたのか腰と足に痛みがでた。運動不足もあるかもしれない。健康管理をしっかりしよう。何事も心技体のバランスが大事である。

大鵬のように「忍」の一字で精進しながら、あくなき「夢」を追いかけて行きたい。

榮太楼もお菓子の横綱をめざしていこう!!  

                                    社長 小国輝也

カテゴリー:社長通信 「輝進」
2013年4月2日 火曜日 | No Comments »

?ジャパンレッドの「秋田新幹線スーパーこまち」が16日デビューした。ロングノーズの斬新なデザインでまさに進化した未来形で、車内は秋田の大地や稲穂のイメージの色調になっており秋田にこだわった新型新幹線である。1番列車の出発式にはJR東日本の冨田社長をはじめ関係者や多くの鉄道ファンが参集し華やかなセレモニーになった。弊社の「秋田新幹線スーパーこまちロール」と「スーパーこまち蒸しどらやき」も販売を開始した。アルベで開催されたディスティネーションキャンペーンPRイベントでもお披露目したがメディアに取り上げられた効果もあり評判もよく売上も上々だった。スーパーこまちロールはあきたこまちの米粉を使ったもちもちした食感の生地で秋田のもろこし羊羹をくるんであり、上部には赤いラインがはいり秋田にこだわったスーパーこまちのイメージを表現している。こまち蒸しどらは白が粒あん、赤がこしあんで御祝の雰囲気を醸しだし誰でも食べやすいお菓子である。スーパーこまちのオリジナルシールがはってあり、お客様が再利用できるようになっている。JRの浅見支社長をはじめ幹部の皆さんにもお気に入りいただき、スーパーこまちの快走とともにお菓子もすべりだし快調である。2日にはこまちの脱線騒ぎがあり心配したが、予定どうりデビューできてホットしている。実は3日に大鵬親方の49日法要が東京でおこなわれ「こまち」で往復したが大曲まではバス往復で、帰りは運休もあり、5時半に秋田の家を出て帰ったのが翌1時だった。大鵬親方に「何事もアクシデントを乗り越える強い精神力を持て」と言われているような気がした。8日で忌明けになったが姉はまだ挨拶回りや取材もあったり疲れる暇もなく忙しくしている。親方の菩提寺妙久寺にお墓ができるのは秋の彼岸の頃になりそうだ。月末には北海道の川湯で大鵬を偲ぶ会が行われ、秋田でも4月9日弊社130周年感謝の集いと併催で偲ぶ会をおこなうことになった。多くの方にお集まりいただき天国の親方にも喜んでもらいたい。

17日にはサッカーJFLブラウブリッツ秋田のホーム開幕戦が八橋球技場でおこなわれ1?0でホーム初勝利を飾った。AKTの生中継もはいり有料入場者で2800名を超え招待者を入れると3000名以上が応援に駆けつけ大盛況だった。岩瀬社長をはじめスタッフの頑張りが素晴らしい。選手も気合がはいっていた。秋田美術工芸短大官能ゼミとブラウブリッツ秋田、榮太楼とのコラボレーションによるブラウブリッツ応援スイーツもついに完成し、開幕戦で販売開始した。その名も「ブラウゴンのたまごボール」、チーズ・さくら・抹茶の三つの味が楽しめるボロネーゼでサクサクしたクッキーのようなスイーツである。オリジナルパッケージに入って1箱580円、用意した300個が完売だった。子供たちがお小遣いを出し合って割り勘で買って食べてくれたりしていた。思わずうれしくなった。フアンの気持ちは熱い。「ブラウゴンのたまごボール」が BB秋田をJ2J1に押し上げる起爆剤の一つになってくれたらありがたい。考案した学生も喜んでいた。こういったウィンウィンの連携は今後もぜひ継続していきたい。店頭では今品切れしているが次のホーム戦前には間に合いそうだ。嬉しい悲鳴である。三橋部長はじめ洋菓子スタッフのみんなお疲れ様、ガンバ!!

全国菓子工業組合連合会青年部の全国大会がモバックショー(国際製パン製菓関連産業展)に合わせてインテックス大阪で開催された。全国から120名を超えるメンバーが参集し、式典、報奨制度審査発表会や銘菓交換会、記念講演、懇親会が行われた。私は今期副部長・東北北海道ブロック長を務めたがこの大会で退任しバトンタッチした。中島部長はじめ来期のメンバーにはさらに有意義な青年部活動を展開し、菓子業界を活性化させていってほしいと思う。褒賞制度で入賞した鹿児島や函館の活動も素晴らしかった。講演会では西宮の繁盛洋菓子店オーナーの津曲孝さんが「菓子作りには物語りがいる」と題して話をされ聴衆に感銘を与えた。愛の菓子運動などを展開する青年部の絆が、それぞれの菓子店の経営にもいい方向でフィードバックされ各地に元気な菓子店の輪が広がっていくことを祈念したい。大阪ではわずかな時間であるがJTB時代の先輩や仲間に挨拶することができ、また激烈な百貨店戦争の現況を目の当たりにすることができた。難波の大阪高島屋ではさくらゼリーを今年から限定販売していただいており担当の方に挨拶してきたがかなり評判がいいようである。関西は活気がある。秋田も盛り上げていきたい。

長女の友人が東京から来秋し男鹿観光に連れて行った。オフシーズンで人はいなかったが天気のいい日で秋田を楽しんでもらえた。GAOも久しぶりに行って白熊の豪太やペンギンショーを見たがなかなかおもしろかった。4月からまたリニューアルするそうである。観光は常に進化させ魅力をアップしていくことが大切である。

北都会やあきしん会ではいろいろな情報交換をすることができた。また米田先生を囲む同級生有志の会も久々に開催し本音トークで盛り上がった。バウハウスの森川さんやAKTの大友君たちとの食事会も楽しかった。忙しいときほどいろいろな人と会うことで頭も身体リフッレシュする気がする。少し疲れ気味であるが私の元気の源である。

私の幼馴染の安倍君の父上、裏千家の佐々木宗文先生、三ツ星館の佐藤社長の母上、広面の安部さんのご主人が御逝去された。人の旅立ちは様々であるが悲しいものである。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

従兄の故加賀谷信悦さんの1周忌法要が休宝寺で執り行われた。24日の月命日には栄子叔母さんのところに行き仏壇に手をあわせている。あっという間の1年だったが、信兄さんが天国から見守ってくれている気がしてならない。合掌。

秋田県知事選挙は無投票で佐竹敬久知事が再選された。2年前に病気をされたがものともせず見事なフットワークとバイタリティーで公務をこなされている。秋田の現状は相当厳しいが元気な秋田を創生できるよう舵取りをお願いしたい。秋田市長選挙は元国会議員が穂積市長に挑むことになった。まったく???である。秋田をよくしたい気持ちはみんな持っている。まったなしの状況でどう実行していくかが大事である。我々も頑張ろう!

大相撲春場所は横綱白鵬が全勝(史上1位の9回)で24回目の優勝を決めた。白鵬は優勝インタビューで大鵬に黙祷を捧げた。感銘を受けた。その他がふがいなさすぎる。大嶽部屋の大砂嵐は6勝1敗。来場所は関取をかける場所になりそうだ。ファイト!

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カテゴリー:社長通信 「輝進」
2013年2月27日 水曜日 | No Comments »

まあとにかく寒い。史上最強の寒波が幾度となくやってきて秋田市の積雪も例年の5倍くらいになっている。雪かきも限界、まもなく3月だというのにこんなに雪が多いのは記憶にない。24日朝の猛吹雪は特に凄かった。ひなまつりもホワイトお雛様になりそうだ。じたばたしてもしょうがないので春の準備をしっかりしながら雪どけを待ちたい。店頭はひなまつりの和洋菓子がラインアップし、桜餅、さくらゼリーをはじめさくらスイーツも動き始めすでに春一色である。「春よこい!早く来い!」と念じているお客様が多いと思うのでお菓子の世界でひと足早く春を感じていただきたい。

義兄である元横綱大鵬・納谷幸喜の通夜、告別式は東京青山葬儀場で約2500名の弔問者が参集し執り行われた。私も親族とともにさまざまな思いを胸中に抱きながら親方をみおくった。通夜では王貞治さん、葬儀では黒柳徹子さん、横綱白鵬からそれぞれ心のこもった弔辞があった。王さんからは「巨人大鵬卵焼き」の一時代を築いた二人ならではのエピソードの披露があり、「大鵬ニクラウス王貞治」の気持ちで現役時代努力したことや、王さんの御自宅での新年会で二人とも倒れるまで意気投合して飲んだ話があった。黒柳さんからはNHKで50年以上前に初めて会ったときの思い出や、徹子の部屋に親方が出演したときの秘話が紹介された。白鵬は亡くなる2日前に会ったときに「しっかりやれよ」と叱咤激励されたことにふれ、力士の代表として横綱としてさらに精進していくことを誓っていた。葬儀終了後霊柩車まで、私も親方の孫たちや白鵬関といっしょに棺を運ばせてもらったが、48代横綱はずっしり重かった。姉の喪主挨拶を聞きながら大鵬の偉大さを再度認識し感無量だった。30回目の優勝を決めた横綱柏戸との最後の一番の実況放送が流されたあと霊柩車は東京町屋の斎場に向かった。親方の骨を拾ったときあらためて親方との思い出が走馬灯のようによみがえり、大鵬が昇天してしまったことを実感した。大鵬の生涯の偉業に対して国民栄誉賞が贈られることが決定した。今日25日姉たち遺族に安倍総理から贈呈されることになっている。生前にいただけると尚よかったが、本人も天国で喜んでいることだろう。11日国技館でおこなわれた「大鵬お別れの会」で姉は「主人は最後まで横綱でした。みなさんありがとうございます。これからも大相撲をいっぱい愛してください。」という挨拶をした。大鵬の遺志を継いで日本の平安が続き、国技大相撲がふたたび隆盛になり、大嶽部屋が飛躍できるよう私たちも応援し頑張っていきたい。両国国技館の相撲博物館では横綱大鵬を偲んでの記念展示がはじまり4月19日まで開催される。弊社大町店の「大鵬ギャラリー」所蔵の「大鵬使用の横綱」も博物館に貸与させていただいた。大鵬ギャラリーも臨時開館したが連日多くの秋田のファンに来場いただいた。秋田でも「大鵬を偲ぶ会」を開催してはどうかとの声があるので、弊社130周年感謝の集いとあわせての開催を検討しようと思っている。一飛び九万里の伝説の大鵬にあやかって榮太楼も精進していきたい。

秋田商工会議所の交通部会でJR東日本の浅見秋田支社長が「プレディスティネーションキャンペーンをふりかえって」と題して講演された。観光客誘致にむけてのDCの効果は大きい。スーパーこまちもいよいよ3月16日にデビューする。先進的でスピード感のあるジャパンレッドの車体に秋田の大地をイメージし黄金色の稲穂をモチーフにした車内になっている。JRは魅力ある地域づくりに積極的に取り組んでおりスーパーこまちの導入とともに観光キャンペーンの成功に向けて相当力が入っている。東日本大震災のあと運休しその後復活したこまちを秋田県の住民は「おかりなさい、こまち」の横断幕をつくって迎えた。JRの幹部はそのことに感動し鉄道輸送業は地域とともにあることを再認識したそうである。弊社も「スーパーこまちロール」と「スーパーこまちどらやき」を3月から新発売する。スーパーこまちの快走とともにスイーツをおおいにアピールして秋田を盛り上げていきたい。県観光連盟の理事会も開催され新年度に向けての体制や事業について審議された。秋田県観光も本気モードに入ってきた。人をよんで栄える秋田創りー我々も積極的に取り組んでいこう!

サッカーもまもなくシーズン開幕する。ブラウブリッツ秋田のホーム開幕戦は3月17日に八橋で行われる。J3ができてBBも加盟する方向のようだ。JリーグのJ1にブラウブリッツ秋田が早く昇格できるよう地域をあげて盛り上げていきたい。岩瀬社長をはじめスタッフの頑張りにぜひ応えたい。BB応援スイーツ「ブラウゴンのたまごボール」もスタートにむけていよいよ最終調整にはいっている。スイーツでブラウブリッツ秋田を応援しよう!

秋田県の農業ビジネス塾の最終回の会合があった。米本塾長の講和をお聞きしたあと秋田の素材を使用した料理の試食をおこなった。枝豆やほんれんそうなど素材の味が生きていて美味かった。秋田には本当に素晴らしい食材があるが、我々地元の食品業者がうまく活かせないでいる。農商工連携がトレンドになって行政もバックアップする体制が出来つつあるので、積極的に秋田の食・味を県外にアピールし外貨獲得につなげていきたい。

附属4校園のPTA会長会が山形で開催された。附中から私と造酒副会長が参加した。山形一の料亭「亀松閣」さんで会議と親睦交流会があり、東北6県の役員のみなさんと有意義な情報交換をし有意義な一日だった。秋田の常任委員会、4校園連絡協議会も開催され今年度の報告と来年度にむけての課題を協議した。私のときと子供たちの在籍をあわせると30年間附属にお世話になっているが、やはり附属のつながりは素晴らしい。

金田勝年衆議員議員の財務金融委員長就任を祝う会がキャッスルホテルで盛大に開催された。野田聖子総務会長もかけつけた。金田先生は大蔵省出身であり、まさに適任である。日本の景気回復とともに秋田の活性化のためにもさらに御活躍いただきたい。(くれぐれもお体お大事に)安倍総理の経済政策「アベノミクス」もすでに効果が現れ、円安株高傾向が強くなっている。2パーセント物価アップへの誘導も現実味を帯びてきた。金田先生はまさにその要の委員長である。我々地方の中小企業も褌を締めなおして波に乗り遅れないよう努力したい。北朝鮮や中国もきな臭くなってきたし、アメリカ、ロシアとのさまざまな交渉も重要な局面にはいっている。安倍総理はオバマ大統領との面談も無事終えて、外交面も滑り出し順調のようである。和をもって徳を積む大和魂で難局を乗り切り日本を発展させていきたい!

レッツゴーJAPAN!!

                                    社長 小国輝也

カテゴリー:社長通信 「輝進」
2013年1月28日 月曜日 | No Comments »

?一飛び九万里、伝説の大鵬が天国に飛び立ってしまった。にわかに信じがたくぽっかり心に穴が開いたような気分である。義兄である元横綱大鵬(納谷幸喜)が19日15時15分心室頻拍のため慶応病院で逝去した。昼に姉から連絡があり、慌てて東京に向かったが機内で訃報を聞いた。羽田空港までがおそろしく永く感じられ、病院に駆けつけたときには親方は霊安室だった。義兄ではあるが23歳年齢が離れており、私が生まれた時はすでに横綱だったし、親父がなくなってからは父親代わりのように期に触れ折に触れ私を叱咤激励してくれた。巡業で秋田に来ると旅館榮太楼に大鵬が宿泊していた縁で姉芳子が見初められ結婚することになった。私が生後3週間のときに横綱に抱いてもらい姉と写った写真がある。初めは相撲界はあまりに世界が違うので無理だと、両親も祖母も大反対だったが、人間大鵬の素晴らしさに触れて祖母が折れて、結婚が決まったそうである。私は3つのときでやっと物心がついて、姉が大好きだったのでちょんまげの大男に姉が盗まれる気がして嫌だった。「大鵬のくるくるパー」と天下の大横綱に向かって罵声を飛ばし姉がたしなめられたこともあった。学生時代までは親方は威圧感がり厳しかったので近寄りがたかったが、社会人になり会社のあとを継いでからは本当にいろいろお世話になった。大鵬部屋は昭和50年から秋田に来て榮太楼を本拠地に夏合宿を行い千秋公園や八橋での稽古は秋田の夏の風物詩となった。私もまわしをつけて稽古に参加させてもらったこともあった。秋田には後援会の人も多く親方はたくさんのフアンとの交流があった。史上最多の優勝32回、全勝優勝8回、2度の6連覇、45連勝をはじめ幾多の連勝記録、史上1位の幕内勝率8割3分8厘など、大相撲界での記録は華華しいものがあり「巨人大鵬卵焼き」の流行語も生まれたが、本人は天才といわれることをいやがった。人の何倍も稽古をし努力に努力を積み重ねてあれだけの実績を残したのである。大鵬部屋が軌道に乗り始めたころ36歳の若さにして脳梗塞に倒れた。大鵬はもうだめだと影で言われたそうであるが、不屈の精神でリハビリに励み劇的な快復を見せて歩けるようになった。理事長にはなれなかったが後進の指導に努め角界の顔として活躍し、晩年は相撲博物館の館長を務めた。後援会やファンに慈善浴衣やタオルを買ってもらったお金で日本赤十字社に寄贈し続けた大鵬号は70台になった。現役のときは好んで「忍」の字を揮毫した。親方になってからは「福寿」「福禄寿」「心技体」など多様だったが、最近は「夢」の字が多かった。会社の玄関にも「夢」の色紙を額に入れて飾ってある。夢にむかって努力することの大切さを常に説いていた。元力士やお世話になった人たちが続々弔問に訪れたが、皆親方に叱られた思い出を話していた。親方は細かいことによく気づいてその場ですぐ指摘するので、煙たがっている人もいたが後からいろいろためなることが多かったそうである。叱り方に愛情があった。また義理人情に厚く筋を通す人だった。男の美学をもっていた。引退したときも2場所前に優勝しまだ余力があるのに新鋭の貴ノ花に負けたところでスパッとやめた。理事や館長を退任したときもそうだった。今回もあまりにも早く旅立ってしまったが散り際がいつも鮮やかである。最愛の妻芳子に電話して「早く来てちょうだいよ」と話したのが最後の肉声だった。

7年前旅館榮太楼を閉館した際には「お前はよく頑張った。人生辛いことがあるから楽しいことがあるんだよ。菓子屋の経営しっかりがんばれ!」とありがたい言葉をかけてくれた。その後も車椅子で秋田で3度講演し、「裸で学んだ人生」の話をして聴衆に感動を与えた。

弊社の株主であり役員としてもいろいろお世話になった。結婚式の引き出物は「さなづら」であり、還暦や紫綬褒章、古希、文化功労賞のお祝いの会でも「秋田の榮太楼の銘菓」を御用命いただいた。この度の葬儀の会葬御礼にも「さなづら」を使っていただくことになった。ありがたい限りである。心をこめて準備させていただきたい。通夜、葬儀は30日31日東京青山葬儀場で執り行われる。たくさんの皆さんが参列することだろう。大鵬は昭和のスーパースターであり大横綱であるが、人間納谷幸喜は偉大な男だった。努力にまさる天才なし。私も褌を締めなおして義兄に少しでも近づけるように精進していきたい。ありがとうございました。親方の実兄である納谷幸治さんも12月28日北海道川湯の実家で急逝された。私も学生時代や社会人になってから何度か泊めてもらいお世話になった。今頃天国で兄弟仲良く酒を酌み交わしているかもしれない。合掌。

みどり光学社の佐々木宏也社長も12日心筋梗塞のため急逝した。家族でスキーをした後温泉にはいって急に発作が起きたとの事。年末年始もいろいろな話をしたばかりだったので本当に驚き呆然となった。葬儀では私が弔辞を奉呈させていただいた。18年前に彼の弟さんも亡くなっており御家族の心情を思うと非常に悲しい別れだった。心からご冥福をお祈り申し上げます。

1月21日菓子舗榮太楼は明治16年の創業以来130年を迎えた。お客様をはじめ関わりのあったすべての皆さんに心から感謝したい。今年のスローガンをおかげさまで創業130年、これからも新しい130年「温故知新」―130年の感謝をこめて本物のお菓子を創ろう!に決めた。全社員一丸となって、「すべてが営業、全てに経知(経済の知識)、すべてに親切」の精神で社業の発展に邁進していきたい。経営理念に謳っているとおり、地域文化の創造、美味しい楽しい菓子作り、夢と希望の提供、お客様第一主義を実践しさらに肝に銘じて精進していこう!

JRのスーパーこまちがまもなく3月16日にデビューするのに伴い試乗会があちこちで行われ、プレゼントとして秋田銘菓「さなづら」をご利用いただいた。秋にはディスティネーションキャンペーンも行なわれるので弊社もあやかってドンドン攻めていきたい。スーパー榮太楼GO!

自動車整備振興組合の新年理事会で「人を呼んで栄える秋田を創りたい」と題して講演させていただいだ。人口減少やさまざまな問題があるが、交流人口を増やして外貨獲得できる仕組みづくりが大切である。素材を活かして「愛想よくずうずうしく」秋田を売り込んでいこう。秋田のお菓子も県外にどんどん販売していきたい。人が動くと菓子も動く。

新春いちごフェア開催中でいちご大福が人気である。さくらゼリー、さくらもちも始まり店頭はすでに春の気配。立春大福の予約も好調だ。厳しい寒さと大雪に困っているが冬将軍には早く帰ってもらいたいものである。

長男紀敬が成人式を迎えた。市立体育館での成人式に続いての中学校の同期会おおいに盛り上がったようである。ふるさとの友を大事にしてそれぞれが大きく羽ばたいてもらいたい!「野風僧」?男は夢を持て!

大相撲初場所は横綱日馬富士が15戦全勝優勝を決め先場所の雪辱を果たした。白鵬は大鵬ショックがあったかもしれない。大関陣はまたふがいなかった。大嶽部屋の幕下、大砂嵐は5勝2敗。今年早目の関取昇進に期待したい。

                                     社長 小国輝也

カテゴリー:社長通信 「輝進」
2012年12月29日 土曜日 | No Comments »

今年の12月は前半から寒くなり雪が降った。19日にはまとまった雪が降りクリスマス寒波が到来、そりの滑りが悪くなりサンタクロースとトナカイは苦労している。(笑)冬将軍には少しおとなしくしてもらい年末年始はおだやかな天候になってほしいものである。クリスマスは3連休になっており厳しい戦いが予想されたので全社一丸となって早めのセールスを展開し前年を上回る数を販売することができた。お客様、スタッフに感謝したい。榮太楼のクリスマスケーキで素敵な思い出をつくっていただけたら幸いである。コンビニ等のインベーダーに負けずにおいしい楽しいケーキを創り続けていきたい!

年末恒例となった『ゆく年くる年どらやき』の販売も好調である。いずれも蒸しどら焼きであるが、辰どらやきは抹茶を使った緑色の生地に男鹿のなまはげの塩を隠し味にしたつぶ餡がはいっている。来年の干支である巳どらやきは縁起のいい白蛇にあやかり、白い生地にピンクの「み」の字が描かれており清酒飛良泉さんのしぼりたての酒粕を煉りこんだ餡がはいり風味がものすごくいい。食べ比べて楽しんでいただきたい。韃靼そばの蕎麦粉を使った年越そば饅頭も28日から大晦日までの4日間限定販売される。この饅頭を食べると不思議と御利益があるような気がする。年越饅頭でいい年を迎えよう!

今月は東京から佐々木先生にお越しいただき和菓子の御指導をいただいた。先生には菓子作りのみならず様々なことを教えて頂いている。御恩に報いるためにもさらにおいしさを追求し、本物のお菓子創りを極めていきたい。

秋田西武で7日間どらやきの実演販売をおこなった。11年ぶりの西武での販売だったのではじめはちょっと勝手が違ったが榮太楼の味をお客様にアピールするいい機会になった。工場の武石、尾形両名と直営店の販売スタッフが入れ替わりで頑張ってくれた。

美術工芸短大官能ゼミの秋田フットボールクラブ株式会社BLAUBURITZ-AKITA[Jリーグ昇格支援と秋田をPRするためイベント商品開発]の最終審査会が大町店のENで開かれた。佐竹知事の奥様、米カフェオーナーの米本さん、秋田フットボールクラブの岩瀬社長、選手の河田さん、そして私と鈴木工場長が審査委員をつとめた。学生たちが3つの案に絞り込んだものを弊社で試作し、その中から最終候補をひとつ決定した。この後中身のお菓子を吟味し、パッケージデザインなどを決定し来シーズンの開幕に合わせて商品を発売することになっている。インパクトのあるものにしていきたい。乞うご期待。

今年を代表する字は『金』に決まった。ロンドンオリンピックの金メダルや金環日食からきているようだが、今年は昨年の「絆」のようにダントツのイメージの字がなかったようである。金色に輝く日本にしたいものである。衆議院選挙は『日本を取り戻す』をキャッチコピーにした安部総裁の自民党が圧勝した。多様な政党が乱立しわかりづらくなったのと民主党が自滅状態で自民、公明が有利になったようである。秋田でも3選挙区を自民が独占(富樫さん、金田さん、御法川さん)し、維新の村岡さんが比例復活当選を果たした。様々な問題が山積しているが、日本の未来がよりよい方向に発展し、秋田が活性化するように政治家の皆さんには真摯な政策と確実な実行をお願いしたい。我々も傍観するばかりでなくいっしょに汗をかいていこう。

秋田商工会議所主催の地域活性化シンポジュウムがキャッスルホテルで開催され穂積秋田市長をはじめ各分野の県内有識者が参加した。大阪商業大学の谷岡学長、博報堂、三井物産の専門家の先生たちがカジノ合法化後のカジノエンターティメントを中心にしたIRの在り方などについてディスカッションした。コーディネーターは佐野薬品の佐野社長、秋田のイーストべガス推進協議会の長谷川代表もパネラーをつとめた。かなり生々しい議論があり出席者は理解を深めた。最終的には国内10か所位にカジノができることになるが谷岡先生はうまくいけば2020年には秋田にできる可能性があると明言された。地域のコンセンサスがとれて行政が手をあげることが必要条件である。エリアが決まれば資本は必ずやってくる。秋田のように経済的に疲弊している地域にとっては外貨を獲得し雇用を生み出し地域を活性化させる起爆剤になりうる。ひとをよんで栄える秋田創りにも資する。世論を盛り上げ前向きにトライしたい。

商工中金ユース会恒例の鶴の湯研修があった。辻支店長の講和を聞き、鶴の湯自慢の山芋なべを食べながら情報交換会をおこなった。本音トークなかなかよかった。雪景色の露天風呂最高だった。さすが日本一の秘湯である。

FM秋田主催の平原さんちのコンサートが県民会館で開催され大盛況だった。平原まこと、綾香、AIKA家族三人によるアットホームで素晴らしいコンサートだった。感動しているお客様が多かった。私も清々しい気分になった。アートシステムの中津さんに大変お世話になり、弊社も宣伝させていただいた。ありがとう。

裏千家淡交会秋田支部矢留青年部の大忘年会をイヤタカで開催した。顧問相談役の先生方をはじめOBの皆さんにもご参加いただいた。来年から秋田支部の5つの青年部が統合されるので矢留青年部としては最後の行事となった。茶道具争奪のビンゴ大会などにぎやかで楽しい宴となった。

築山小学校の総合的な学習の時間で六年生に講和をさせていただいた。お菓子の仕事のことや榮太楼の歴史、子供のころの夢などについて話をした。私の同級生の上野智明先生が担当でセコンドについてくれた。早速こどもたちから感想文が送られてきていたのですこし紹介したい。「今日小国さんのお話を聞いて、ものづくりに少し興味を持ちました。火事で工場がやけても、お客さんとの約束を守ってお菓子を作ったのがすごいなーと思いました。そして六年生の夢は無限大という言葉がすごく心に残りました。いろんなことにチャレンジするというのが大事なんだなーと思いました。」「明治16年から色々な出来事をのりこえてきたんだなぁと思いました。小国さんは『お菓子をおいしい!と言ってもらえるとうれしい!だからがんばれる!』と言っていました。また夢を叶えるためには自分の夢をふくらませることが大事なので私も勉強をがんばっていきたいと思います。」こどもたちから元気をもらった。私も有言実行の精神で頑張りたい!

久しぶりに男鹿グランドホテルの錦ちゃん、元秋田温泉プラザの松田さん、ユーランドホテル八橋のまっちゃんと4人だけで一元で食事した。さまざまな話題に花が咲き濃い一夜となった。それぞれが炎のチャレンジャーである。これからまだまだ進化しそうだ。

マヤ歴によると12月22日で世界が終るということだったが、無事クリスマスを迎えた。さまざまな終末論があるが惑わされずに明るい未来を信じて努力していきたい。心の持ち方と行動で世の中は変わるのである。

2012年あっという間の一年だった。みなさんにとってどんな年だったろうか?みなさん今年もいろいろありがとう!来年がさらに素晴らしい年になるよう頑張りましょう。よろしく!

菓子舗榮太楼は一月いよいよ創業130年を迎えます。感謝!

                                      社長 小国輝也

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