2024年3月28日 木曜日 | 輝進VOL338 はコメントを受け付けていません

3月になって寒さがぶり返し、3日は雪のひなまつりになりお彼岸の中日の朝は積雪になった。朝晩明るくなってようやく春めいてきたが2月が暖かかった分、ここで帳尻をあわせたかもしれない。気まぐれなお天気である。

福楼トピコ店は2月で臨時契約満了に伴い、場所を榮太楼トピコ店のところに移転した。高砂堂さん側のコーナーに売り場をもうけあたたかい豚まんと冷凍の豚まん、あんまん、シュウマイ、ギフトセットを販売している。ポポロード側のほうがお客様の動きが活発なのでうまく認知度をあげて榮太楼の菓子と福楼が相乗効果がでるように、秋田駅での販売をさらに強化していきたい。さなづら、桜咲くさくらゼリー、赤まん青まんとともに福楼の豚まんをおおいにアピールしていきたい。スクラムくんでチームワークよく頑張っていこう。
金子地所の金子榮一会長がご逝去された。先代の敬二郎ともお付き合いがあり、私も秋田ロータリークラブで金子さんが会長のときに幹事をつとめいろいろお世話になった。台湾のロータリークラブとの交流でいっしょに台湾にいったこともあった。キノコ採集がご趣味でかつて金子さんがとってきたキノコで旅館榮太楼で食味会を行ったこともあった。宴会芸「こっから舞い」は天下一品で皆が笑顔になった。金子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

東京経済大学中村青志ゼミのOB懇親会が大学において4年ぶりに開催された。6号館の最上階の会場からは富士山が綺麗に見えた。中村先生みずから幹事をつとめてすべての卒業生に案内するスタイルは今回が最後ということで全国からたくさんのメンバーが参集し74名の過去最多の参加で、中村先生を囲んでにぎにぎしくさまざまな情報交換ができて有意義な会になった。私の同期で86年卒の兼松君がゼミ生を代表して挨拶し私が乾杯の発声をさせていただいた。中村先生の日本経営史の授業では財閥の変遷も学んだが、学習院大学のゼミと共同でおこなった企業比較のディベートはとてもためになった。私の時は三越対西武で東経大が三越を担当して取材にも行ったりした。国分寺の街もかなり昔と変わったが、学生時代にタイムスリップしたような感じで有意義な一夜になった。中村先生のご恩に報いるためにも秋田の老舗・榮太楼を立派に再生していきたい!
秋田市、潟上市、男鹿市の農家のパーティーネットワークによる「あきた産直市」が東京駅日本橋口広場で開催された。秋田市からの依頼をうけて弊社も出店し私が3日間販売してきた。東京駅といっても場所がすこしわかりづらく苦戦したが、桜咲くさくらゼリー、さなづら、あんぱん焼き、さくら蒸しどら焼きを販売してアピールした。友人知人がけっこう買いに来てくれてありがたかった。高島屋、三越、菓子の記録帖などにも営業して打ち合わせができた。東京は国内外からコロナ前と変わらない大勢の人であふれかえっていた。八重洲口の大丸には常に行列ができていた。ニューヨークキャラメルサンド、ねんりん屋のバウムクーヘンは相変わらず人気。いろいろ刺激を受けた。商品のプロモーションをしっかりやって、見せ方売り方売る場所がかみあうと菓子はヒットする。榮太楼大ブレークを夢見ながらしっかりチャレンジしていきたい!
秋田県観光土産品製造・卸協議会では秋田市の鎌田副市長、黒澤産業振興部長をお招きして勉強会をかねた懇親会をおこなった。無限堂において17名の参加だったが忌憚のない意見交換をすることが出来た。行政の支援をうけつつも、秋田の観光土産品がもっともっと売れて秋田に外貨獲得できるように知恵をだしあいながら努力を積み上げていきたい。

第67回竹駒神社全国銘菓奉献会が開催され参拝してきた。今年は「さなづら」「桜咲くさくらゼリー」「赤まん青まん」を奉献した。菓子舗榮太楼は昭和39年以来60回の節目の奉献ということで九條総裁(明治神宮宮司)から感謝状をいただいた。直会では私が代表して乾杯の発声をさせていただいた。先代敬二郎も亡くなった年の(平成3年)の奉献会の同じステージで乾杯しており感無量だった。村田宮司や白松会長、新しく副会長になった福島の柏屋・本名会長ともいろいろな話をすることが出来た。祖母キセからの縁である。ご利益があるように頑張っていきたい。
北都会が秋田キャッスルホテルで開催され650名以上が参加して盛会だった。伊藤頭取から最近の北都銀行の経営状況について話があり、荘内銀行との合併にむけての決意と今後の展開についても説明があった。北都銀行も合併によるスケールメリットを享受しつつ地域の中小企業の経営支援をさらに強化していく方向である。我々取引企業も商売繁盛させて地域が活性化するように頑張っていきたい。プロゴルファーの丸山茂樹さんが講演を行い、これまでのさまざまなエピソードを交えて楽しい話をされた。ゴルフファンはたまらなかったと思う。一つの道を究めた人の話は含蓄があって面白い。

あきしん会総会・芸術鑑賞会もキャッスルホテルで開催された。330名が参加し秋田信用金菅原理事長からも秋田の取引先中小企業の支援強化をしていく旨の挨拶があった。ちょうど日銀がマイナス金利解除を決めた日だったので、あきしん会の木村会長からは預金金利はすぐあげて貸出金利はしばらくあげないようにとユーモアを交えた話があった。

市会議員の川口まさたけ市政報告会がイヤタカで開催された。川口さんは光月堂社長で同業者であり仲間である。あきた元気倶楽部の会長もつとめ千秋花火の実行委員長である。昨年の水害でお店もかなりのダメージをうけたが復活し、まさに世のため人のために獅子奮迅の活躍をしている、未来の子供たちのためにこの秋田をよくしていきたいと強調していた。いっしょに頑張っていきたい!

20日にはブラウブリッツ秋田の対栃木戦、秋田ノーザンハピネッツの対宇都宮ブレックス戦が秋田市で同時開催された。雪が降って最高気温も2度前後の悪天候だったがサッカーもバスケットも熱い戦いが繰り広げられた。豚まん福楼は両方に出店して大変だったが、かなりの売り上げを創ることが出来た。ハピネッツではとちおとめのいちご大福を限定販売し大人気で完売した。さびぃ中スタッフの皆さんお疲れ様!!

24日はいとこの故加賀谷信悦さんの13回忌法要を菩提寺の休寶寺で執り行った。3年前に亡くなった叔母・栄子さんと全く同じ命日である。信悦さんは秋田工業ラグビー部出身でおだやかで温厚な人柄だった。還暦で旅立った信悦さんの分もまだまだ頑張っていきたい。

竿燈会の元会長・堀祐一さんも亡くなられた。竿燈まつりではいろいろなことを教えてくださった。役員用の凧(長ズボン)を私にプレゼントしてくださったこともある。これからは天の川の上から竿燈まつりを楽しんでいただきたい。合掌

大相撲春場所、大嶽部屋の王鵬は横綱照ノ富士から初金星をあげたものの7勝8敗と負け越した。着実に力はついてきている。幕下の夢道鵬は3勝4敗、三段目の納谷は6勝1敗だった。来場所は幕下復帰する。大嶽部屋力士の健闘を期待したい。まれにみる混戦状態で、まだ大銀杏がゆえない新入幕の尊富士と入幕2場所でざんばら髪の大の里の優勝争いとなり、14日の取り組みで足を負傷した尊富士が千秋楽出場して勝ち13勝2敗で優勝した。新入幕力士の優勝は110年ぶりの快挙である。出身地の青森県五所川原市は大変な盛り上がりだった。おめでとう!!
大関陣はじめ上位は実力伯仲していて星のつぶしあいだった。次の横綱候補が見つからない。王鵬にはやくもっと力をつけて上を目指してもらいたい。

社長 小国輝也

カテゴリー:お菓子
2024年3月26日 火曜日 | 輝進VOL337 はコメントを受け付けていません

雪が降らず記録的な暖冬の2月だった。20日は明治15年の観測開始以降はじめて秋田市の気温が20度を超えた。と思えば翌々日には氷点下まで気温がさがりひさしぶりに積雪になった。寒暖差が激しく、地球温暖化の影響とはいえあきらかに日本の気候も激変してきている。スキー場等雪不足で困っていたが、道路が乾いていたこともあり自転車に乗ってご来店のお客様もいて路面店にとっては商売しやすい冬になった。

立春大福は今年も人気があり、リピーターのお客様が多かった。はじめて召し上がった方も喜んで追加オーダーがあったりした。いとく新国道店は桜庭店長を先頭に営業強化し前年をかなり上回る売り上げになった。バレンタインもショコラドールが人気でほほ全店で完売になった。札幌の田中先生のご指導による商品である。感謝したい。桜咲くさくらゼリーもタカシマヤさんはじめ全国から注文が増えてきた。秋田市内でも秋田空港やアトリオンの物産振興会の店舗でもさくらゼリーをメインにして販売していただいている。ネットでは早割キャンペーンを行っているが、個人や会社からもまとまったお買い上げにつながっている。かつての中国系の方々の爆買い現象のような買い方ではないが、確実にアピールしていけば秋田榮太楼の元祖さくらゼリーはまだまだ増売していけるだろう。知恵をしぼって頑張ろう!

南通り店は秋田朝日放送のトレタテのニュースと、FMあきたの「気分屋食堂」の番組内で取材をうけた。昨夏の水害から復活して店をリニューアルしみたらし団子等が食べれるイートインコーナーもできたことで来客数もじょじょに増えてきている。

最近の営業日報から少し紹介したい。

「気温が高いせいかソフトクリームを頼む方が多かったです。来店された方々の年代が30代くらいのご夫婦とか幼稚園帰りのお母さんとお子さんなどいつもより若返っているのも発見でした。」

「お団子が美味しいという噂を聞きつけた男性客が来店され今回は持ち帰りでしたができたてホカホカをご覧になり今度また来ますというお言葉をいただきました。」
ほかの店も「常連のお客様がお亡くなりになりその方の息子様がご来店されて49日のお菓子を買いに来てくださりました。ずっと長い間ご利用いただいた感謝の気持ちを息子様に伝えることが出来てよかったです。」

「学校関係の準備でバタバタした一日でした。問合せや新規注文もどんどん来ています。学校様から注文を頂けるように丁寧な対応を心がけて接客をしたいと思います。DMをだしたので1件でもその中から注文をくださればいいなと思います。」(幸町店)
「立春大福お買い上げいただいている歯科医院に桜餅もって営業に行ったら早速午後に先生がご来店され箱詰めを買って下さった。かわら版をお届けすると購入してくださるお客様をピックアップして店に販売員が多い時間帯に営業に歩いてみようと思う」(いとく新国道)
「月曜日にもかかわらず店内は賑わっていた。JRが平日限定でお得な乗り放題切符・キュンパスを販売しているのでそちらのお客様が多かった。当店は赤まん青まんが大人気であった。客単価は低かったが笑顔で頑張りたい。」(トピコ店)
2月は売り上げ作りが厳しい時期であるが、各店それぞれ工夫をして増収にむけて頑張ってくれていることは大変に心強い。みんなでスクラムをくんで榮太楼を前進させていこう!

長男紀敬に長男が誕生した。めでたい。その子が還暦を迎える前に榮太楼は創業200年になる。新時代のあらたな営業展開を推進して商売繁盛させていきたい。7代目の私もふんどしを締めなおして心機一転努力したい。

1月30日秋田県警察学校の卒業式があり参列した。きびきびしてはつらつとした立ち居振る舞いはさすが警察官という雰囲気で感動的なセレモニーだった。佐々木薫校長の式辞は心がこもっていて卒業生たちの琴線に響いたと思う。来賓の猿田副知事の期待を込めた激励の祝辞も素晴らしかった。私も10月に講演させていただいた時よりさらに成長した彼らの姿をみて秋田の将来は明るいなと感じてうれしかった。佐々木薫校長ありがとう!そして永年の警察官生活お疲れさまでした!
今月はまた中村青志先生が秋田にお越しになり、いろいろな部門のスタッフと面談してアドバイスをいただいた。和菓子、洋菓子、販売部門(南通り・トピコ・新国道)、総務、管理、福楼それぞれの主なメンバーとコミュニケーションをとり、私にもさまざまな提言をいただいた。風通しのいい社風を創り榮太楼再生を加速させていきたい。

秋田ノーザンハピネッツは三河戦に連勝して貯金3になり(21勝18敗)チャンピオンシップ進出に望みをつないでいる。3月以降の後半戦の奮起に期待したい。豚まんの福楼はハピネッツのホーム戦すべてに出店しているが常連のお客様が多く毎試合完売御礼の状況が続いている。ハピネッツにあやかって豚まんがもっとブレイクするように盛り上げていきたい。県立体育館を建て直しして八橋にアリーナができることが正式に決定した。2028年には完成してハピネッツのホームアリーナになる。
ブラウブリッツ秋田は外旭川の中央市場の建て替えに伴いそこにスタジアムを建設する方向で協議中である。外旭川の街づくり構想については佐竹知事と穂積市長の見解が折り合わず先行き不透明になってきた。人口減少が続く中、秋田から金をすいあげる商業施設はいらない。秋田駅を中心にコンパクトシティを創っていくべきでこれ以上秋田市が分散してしまっては将来に禍根を残すだろう。Jリーグのチームが秋田に残り多くのファンが秋田に来てもらうためにもスタジアムは英知を結集して早期に
完成させたい。ブラウブリッツ秋田の岩瀬社長を応援していきたい!

ボーイスカウト日本連盟の水野正人理事長が秋田にお越しになり秋田キャッスルホテルで講演会が開催された。水野理事長はミズノの元社長でご自身のボーイスカウトキャリアからさまざまなエピソードを交えて含蓄のある話をされた。宇宙飛行士になった人もボーイスカウト出身が多いそうである。少子化で大変な世の中であるが将来の日本を背負うたくましい子供たちの育成は大事なことである。懇親会もおおいに盛り上がった。5月には秋田でボーイスカウトの全国大会が予定されている。旭北歯科の千葉利昭先生もボーイスカウトの役員である。

秋田食品衛生協会の役員会がイヤタカでおこなわれ総会にむけてのさまざまな協議をした。食品衛生協会の会員も減少傾向であるが、あきたの食に関わる業界が健全な発展をするために知恵を絞っていきたい。

長濱珈琲さんが秋田空港にカフェをオープンすることになり、そのお土産コーナーで栄太楼の菓子を販売してもらうことになった。26日にオープンするが、以前VIPラウンジがあった場所で明るく開放的でオシャレなお店になりそうである。スタートはさなづら、桜咲くさくらゼリー、北のかざぐるま、秋田ミルフェ、あきたこまちおかき。赤せん青せんを販売する。ターミナルビルの売店とあわせて相乗効果がでるように榮太楼も注力していきたい。秋田の空の玄関口を活性化させていこう。
22日東京株式市場はバブル経済期の1989年の水準を上回り。39098円の史上最高値をつけた。日本は失われた30年からようやく抜け出せそうだが、地方の中小企業や個人は株高による景況感アップはまるで感じられないのが実態である。地に足をつけてコツコツと頑張っていきたい。

社長 小国輝也

カテゴリー:お菓子