2019.6.25
輝 進 VOL.281
大町店が29日で閉店することになった。明治16年創業の地はたぶん今のダイワロイネットホテル前の中央分離帯のあたりでその後場所を移転して昭和24年に現在地にて営業を再開した。昭和31年には火事で全焼したが復活し、昭和51年に高陽幸町に本社工場を移転するまでは、大町が本店・工場であった。職人たちも大町に住み込みで働いていた。松橋さん武石さんは昭和51年入社で大町に住んでいたことがある。昭和56年には本店として新築し翌年には「秋田市民が選ぶ都市景観賞」の第一号を受賞している。県都秋田市の中心部であり、川反や大町は隆盛をきわめ榮太楼も繁盛した。中心市街地の空洞化がすすみダイエー撤退後ニューシティ跡地は更地になり、イーホテルの下のADは空きスペースになり人があまり歩かないエリアになってしまった。大町店は平成17年に二階に東海林太郎音楽館が開館し、店の奥の部分は平成19年からコミュニティースペースENとして多目的に活用し、さまざまなグループから利用してもらいながら賑わいの創出に取り組んできた。しかしここ数年の大町地区の停滞で客数が減り、経営資源の集中の観点から店の閉店を決めた。足かけ136年、秋田の歴史を刻んできた弊社の中核店舗であるが時代の変化のなかではやむを得ない。現在、感謝セールを展開中であるが、長らくご愛顧いただいたお客様に感謝しつつ、このあとも榮太楼をご贔屓いただけるように、挨拶かたがた中村店長を先頭に営業をしている。ほかの店舗と、宅配等の本社営業の強化で大町店のぶんをカバーしていきたい。7月からは銀線細工の職人さんたちに大町店をお貸しすることになった。商工会議所の佐藤副会頭と辻永クラフト工房の辻永さんが間にはいって話が順調にすすんだ。大町の建物は、「榮太楼ふるさと文化館」としてこのあとも秋田の文化と観光の拠点として活用される。「矢留彫金工房」として1階は生まれ変わり、銀線細工制作と体験教室、展示販売が行われる予定である。銀線細工は秋田市の伝統工芸として継承され発展していくことだろう。世のため人のため秋田のため、みんなで力をあわせていきたい。大町はまたこれからおもしろくなりそうだ!大町店に勤務したことのあるスタッフを中心に「大町感謝の会」をおこなった。それぞれが大町店の思い出があるので、なつかしい話を語り合いながら、今後の榮太楼商売繁盛にむけての決起集会にもなった。ガンバロウ榮太楼!!
甘夏大福、あまなつのクリームあんみつが店頭では好評で、特にいとく新国道店は前年比大幅アップの売り上げをキープしている。旬のおすすめ銘菓を強化して集客を図り「赤まん青まん」「さなづら」等の銘菓の販売にもつなげている。ディスプレイもタイミングよく変化させてお客様の目を引いている。新国道の成功事例をほかの店にも波及させていきたい。
千秋茶会は晴天に恵まれたくさんの人が千秋公園を訪れ盛況だった。今年も裏千家様と狭山流様からご用命をいただいた。私も何席かまわって素晴らしい野点の雰囲気の中で美味しいお茶とお菓子を満喫した。裏千家のもうひとつの席は土田さんが担当でパッケージの桑原社長が初お点前ということで私が正客をつとめた。さわやかだった。
菓子組合青年部総会、洋菓子協会総会もあいついで開催された。同業の皆さんとさまざまな情報交換をしているが、秋田の菓子業界の景況はあまりよくない状況が続いている。個人消費が低迷しているが、顧客が喜んで菓子を買って食べていただけるような仕掛けをしていく必要がありそうである。
東海林太郎顕彰会の総会は大町ビルで開催された。昨年は東海林太郎生誕120年祭で大忙しだった。音楽館や組織の見直しをして持続可能な東海林太郎にしていきたい。来年度には旧県立美術館前に東海林太郎像が建立される予定である。
ホテルニューオオタニ内のサカガミ赤坂ルパ店で今月から榮太楼の菓子を販売していただいている。上京しあいだに入っていただいたロアの山田代表に挨拶して打ち合わせをしてきた。多少高くてもいいものはどんどん売れるお店のようである。立地と客層は大事である。
仙台駅では北東北フェアが開催され、榮太楼も出店し福岡常務と相原課長の連携プレーで販売した。私も一日応援にいったが、やはり仙台は東北の都だけあってひっきりなしにお客さんがいる。さなづら、生どら焼き、赤まん青まん、あんぱん焼きが面白いくらい売れていた。秋田出身の人も多いし、首都圏からの客もいて、仙台の乗降客は秋田と比較すると羨ましいくらいにあふれかえっている。臨時販売でも手ごたえがあるので仙台での常設販売も将来的には検討していきたい。
トピコ・アルスのオーナー会議がホテルメトロポリタンで開催され、ステーションビルからの報告や経営方針の発表があった。トピコは昨年度は95パーセント程度の売り上げだったが3階のリニューアルにつづき、今年度1階を改装する予定である。秋田の玄関口、秋田駅を中心に東口の再開発もすすみノーザンステーションゲートとして活性化していきそうである。懇親会では高木社長やスタッフのみなさんともさまざまな情報交換をすることができた。
弊社もトピコの売り上げを倍増させる勢いでチャレンジしていきたい。
秋田三菱自動車の三浦潔社長が5月29日ご逝去されキャッスルホテルで葬儀が執り行われた。享年65歳。現役で活躍中で早すぎる旅立ちにたくさんの方が参列し悲しみに包まれていた。喪主でご長男の翔一郎さんの挨拶が立派で涙がでた。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌
私の叔母・栄子さんの飼い犬・チャッピーが20日に亡くなった。16歳で老犬ではあるが、最近まで元気だったが、頭の後ろの腫瘍のようなものが破れて内臓機能も低下していたようだった。従姉の和子さんといっしょに秋田ペット霊園で火葬・埋葬したが、霊園のスタッフがあまりにも親切・丁寧で感動してしまった。チャッピーは今頃天国で従兄の信悦さんと再会していることだろう。
東京経済大学・葵友会秋田支部総会がつねやで開催され17名が参加した。大学からは経済学部の中村教授、葵友会の鈴木会長が秋田までお越しいただき、大学の近況報告をお聞きしながら情報交換をして懇親会では東京経済大学のオリジナル純米酒をのみながら同窓の絆を深めることができた。葵友会は今年110周年の節目の年を迎える。私も秋田支部長として活動を活発にしていきたい。
秋田高校同窓会総会がビューホテルで開催され180名近い同窓生が参集した。私は当番年次で総合司会を務めた。銭谷眞美会長からの挨拶につづき母校の安田校長から近況報告があった。この春に学食を復活させたことが大きな話題になった。郷土創生特別委員会の佐藤裕之委員長の強力なリーダーシップの賜物である。文武両道の前に食事が大切である!記念講演会は昭和58年卒でりそな銀行常務の有明三樹子さんが、「秋田おばこよ大志を抱け!しなやかに、したたかに。」と題しておこなった。ご自身の体験をもとに生々しく大変楽しい話だった。女性活躍の時代のリーダーである。秋田高校の同窓の絆も素晴らしい!懇親会はおおいに盛り上がり、応援団OB紫紺の会のリードで校友会歌で中締めをした。同期の飲み会もいろいろオフレコ話も飛び出し有意義だった。
「おのれを修めて世のためつくす」
番付発表があり、納谷幸之介は幕下西6枚目に躍進した。名古屋場所での活躍を祈りたい!!!
社長 小国輝也