壇蜜さんが「さなづら」を好きでTBSテレビの「はなまるマーケット」の今朝のおめざのコーナーで「さなづら」を紹介してくれた。彼女の母の実家が横手の十文字でおばあさんが「さなづら」をお好きだったらしく秋田にくるたびにさなづらを食べていたそうである。「山葡萄の甘酸っぱさがいい。仲良くなった友人にはさなづらをおみやげにふるさとの銘菓としてお渡しするんです。」と話していた。ありがたいことである。早速電話やインターネットでの問い合わせ注文が増えお盆にかけてさなづらがブレークした。あらたなお客様にさなづらの魅力をアピールすることができた。壇蜜さんに感謝したい。こまちスタジアムで開催された「ヤクルトーDeNA戦」では始球式をつとめ話題をよんだ。ABSラジオにも生出演しまたさなづらのことを話してくれた。私も挨拶させてもらったがとてもウィットにとんでクレバーな女性だった。彼女のブログはなかなかおもしろい。秋田を代表する美人としてさらに活躍を期待したい。
今年の竿燈は史上最多の266本が出竿し、これまた最高の141万人が竿燈まつりを楽しんだ。竿燈会の会長が藤原新会長に代わり新役員の皆さんの発案で観客と竿燈の差し手とのコミュニケーションを図るべく竿燈演技の終了の際に竿燈締めをおこなったり、積極的に掛け声をかけたりした結果、いつの年にも増して会場全体が盛り上がり余韻をおしむお客様が「竿燈とのふれあいの時間」が終わるまで帰らずに「素晴らしかった。また来たい。」といった声があちこちで聞かれた。佐竹知事も竿燈会の反省会で「こんなに感動するまつりは他にない。」と涙を流しておられたほどである。私も平成2年以来竿燈の司会を務めているが今年ほど全体の雰囲気がよかったことは記憶にない。竿燈妙技会は大若団体規定演技は下肴町、自由演技は柳町が優勝した。下肴町は個人戦も優勝し全体的に安定していた。柳町の自由演技は竿8本の演技を決めた。今までの最高記録だろう。高さが半端じゃなかった。6日はあちこちで大雨が降ったが秋田市だけは雨が降らなかった。私がマイクを持つと竿燈が中止にならないジンクスは今年も大丈夫だった。9日の集中豪雨で大館、鹿角や田沢湖が大変な状況になった。田沢湖では土石流で集落が流され6名の方が犠牲になってしまった。7月末には山口県で大雨被害があったし、全国的にこの夏は異常な集中豪雨が多い。どこで降るかわからず突然ゲリラ的に雨が降る。関東から西日本にかけては連日35度以上の猛暑に見舞われた。地球温暖化の影響なのか世界的に天候がおかしくなってきている。秋田でも春と秋がなくなるのではないかと予測している人もいる。この異常気象が一時的な現象であってくれることを祈りたい。四季折々のメリハリある変化が日本や秋田のよさである。美の国をなんとしても守りたい!
久しぶりに大曲の花火に家族で出かけた。全国からものすごいお客様が大曲に集まっていた。さすが日本一の花火大会、花火が上がるたびに歓声があがった。大会提供花火はみなうっとりして見上げていた。地元大曲の小松煙火工業さんが大会最優秀賞を受賞した。小松さんおめでとう!あきたの竿燈と大曲の花火はやっぱりすごい!!
佐竹知事と穂積市長の公約で秋田県民会館と秋田市文化会館をひとつにして文化的なイベントやコンベンションを開催できる施設を創造する方向になり、第一回目の有識者による検討会が開かれた。私も観光コンベンションの代表として意見を述べた。血税を投入してハードの整備をするわけであり、秋田にとって最後のチャンスだと思われるので県外からも人をよべる外貨獲得できる施設にする必要がある。3000名規模収容で駐車場完備は最低条件だろう。金太郎飴のようなものにならないよう提言していきたい。
秋大附中32期同期で「半世紀を祝う会」をビューホテルで開催した。30数名の参加だったが恩師の森谷祐二先生、佐々木信吾先生ご出席いただき大変なごやかでもりあがった会になった。今年度50歳を迎える節目の年になるのでそれぞれの半世紀を振り返りながらお互いにカツをいれようという趣旨であったがみんなパワフルで鳥海さんの店で3次会までやって深夜まで話がつきなかった。ビューホテルの椙原さんにはほとんどひとりで幹事をやってもらい世話になった。ありがとう。5月に奥さんが亡くなった石井君が中学生のお嬢さんを連れて参加した。17年ぶりに秋田にきた本橋(旧姓酒巻)さんや横浜から毎回参加してくれる山口(旧姓青田)さんをはじめ遠方からの参加者を囲んで皆テンションが高かった。「充実」「温故知新」「飛翔」―附中時代の附中祭のテーマにのっとって人生折り返し頑張っていきたい。GOGOわがよき友よ!!
栄徳院法観日敬大居士(亡父敬二郎・平成3年11月2日命日)の23回忌、栄彰院妙操日静大姉(亡母静・平成13年6月2日命日)の13回忌法要を17日に本妙寺で執り行った。本来はもっと早く納骨するはずだったがずっと自宅の仏壇に鎮座して家族を見守っていた父母の喉仏の骨を法要後に無事納骨をすませた。東京から姉芳子をはじめ父母の孫やひ孫11名が来秋した。うちの子供たちをいれると父母の孫は7人ひ孫は9人いる。2人だけこれなかったが皆勢ぞろいしてにぎやかな法事だった。会食はホテルメトロポリタン秋田でおこないなごやかな宴となった。記念写真を何枚か撮ったがなかなかいいショットが撮れていた。天国の父母が一番喜んでいただろう。遺影が笑っていた。翌日は東京のメンバーを連れて男鹿観光に行った。寒風山、門前の汐瀬旅館で昼食、男鹿水族館GAO、なまはげ館のコースだったが、白熊親子のかわいらしいしぐさや迫力満点のなまはげのパフォーマンスにみんな喜んでいた。汐瀬旅館の鯛づくしの料理は美味でおなかいっぱいになった。秋山社長ご夫妻は旅館栄太楼のOBで、大鵬親方とも永い交流がある。男鹿巡業で大砂嵐も泊まったようで縁を感じた。法事での来秋であったが子供たちにも秋田を満喫してもらった。私もほっとした。父母の供養とともに栄太楼のさらなる躍進を墓前に誓った。天国からのエールが聞こえてくる。がんばろう!
さきがけ友の会60周年記念式典・祝賀会がキャッスルホテルで開催された。田原総一郎さんの記念講演があった。時流をとらえた切れ味のいい話だった。インターネットの時代になってもアナログの活字の大切さは変わらない。小笠原社長の挨拶素晴らしかった。
鶴の湯温泉の小屋での販売にお盆期間中2日間私が行った。全国からお越しのお客様があこがれの鶴の湯に来て皆笑顔だった。さすが鶴の湯さん、私もうれしくなった。
東京秋葉原の日本百貨店の食品館「CHABARA」に8日間秋田栄太楼が出店し、お菓子販売にチャレンジした。福岡部長と私が交代で売り子を務めた。先月できたばかりのエリアで残念ながら集客がいまひとつでいい勉強になった。JRグループとはもっと深く交流してビジネスにつなげていきたい。法里さんに販売応援等お世話になった。
秋田市6次産業化事業でノースアジア大学とのコラボレーションによる商品開発がヤマ場を迎えている。さなづらを使った洋菓子をDCキャンペーンに合わせて新発売する予定である。乞うご期待!
社長 小国輝也